PROFIL

 

wok hard, play hard

                     

初めまして!!

皆様当ブログをご覧頂きありがとうございます!!

当ブログ執筆者の飯野多希留です!

ヨーロッパの中心、国際機関が集まっている

スイスでサッカーをしています。

そんな僕のことを少しでも知ってもらいたくて

ブログを開設しました。

「まず、飯野多希留ってどんな人なんだ?」

と疑問に思っている方も少なからずいると思いますので、

ここにプロフィールを書いておきます。

プロフィール

基本情報

本名: 飯野 多希留(いいの たける)

1993年7月16日生まれ。生まれも育ちも東京。

身長177cm(気持ちは178cm)で体重は70kg。

利き足は右足。

短距離より長距離が得意。

僕はフィジカル能力が高いサッカー選手を好きになりがち。

(無いものねだりの気持ちから)

選手経歴

豊南SC(小学生)

浦安JSCジュニアユース (中学生)

浦安JSCユース (高校生)

浦安SC (2012ー2013)*FC ICHIMURUでもプレー

中央大学サッカー部(2014)*半年練習のみ

SG Mendig/Bell(2014ー2016)ドイツ6部

FC Bassersdorf (2018ー現在)スイス5部


学歴

豊玉南小学校

↓

豊玉中学校

↓

晴海総合高等学校

↓

中央大学

↓

コブレンツ大学(聴講生)

↓

中央大学(復学)

大学では、ドイツ語文学文化を専攻し、ドイツ挑戦に備えました。

ここまでの軌跡

 

サッカーと出会う


兄の影響で小学校に入学する前から野球を勧められていたのですが

大親友がサッカーを始めたのをキッカケにサッカーを始めました。

そこから、サッカーにどっぷりと浸かっていきました。

当時から、海外のサッカーを見るのが大好きで、

夜中に一人で試合を見ていたのをよく覚えています。

当時から年上の人たちとサッカーをしていて小学校3年の時は、

6年生の試合に出ていました。

 

海外でサッカーをしたい

 

海外サッカーを見ることが好きだった僕にとって、

小学校6年生の時にまたと無いチャンスに巡り会いました。

それは、ナイキとマンチェスターUが主催していた、

NIKE CHALLENGEというセレクションでした。

NIKE CHALLENGE × マンチェスターU

全国の12歳以下の選手の中から1人だけ

マンチェスターUの入団テストを受けられるという夢のような企画。

僕は、すぐにこのセレクションに申し込み味の素スタジアムの横の

グランドで行われた選考会に参加しました。

ニュージーランド代表の選手達も参加していて

多種多様なテスト生がいました。

そして僕は3次審査まで通り、

マンチェスターUの巨匠ファーガソン監督

に紅白戦を見てもらい、

指導までしてもらいました。

いつもテレビで見ている監督が

目の前で指導してくれている事に感激しました。

残念ながら3次審査で落選してしまいましたが、

将来は欧州でサッカーをしたい!!

とこの時から思うようになりました。

14歳で天皇杯予選に出場

中学生の時は、

小学生時代に尊敬していた先輩達が

所属していた千葉県浦安市にある

浦安JSC

というチームに入りました。

このチームはJリーグのチームのように

幼稚園生から大人のチームまで

ある大きなクラブで当時中学2年生だった僕は、

天皇杯予選の1回戦2回戦で

先発として起用してもらいました。

2回戦目は江戸川大学との試合で、

僕が何も出来ず、

チームに申し訳ない事をしてしまったという

罪悪感が今でも残ってます。

これ以降、この試合より緊張した試合はないです。

当時のインタビューがこちら↓↓↓

(寝癖については目を瞑って下さい。)

出典: 浦安JSC

 

ドイツ挑戦を決意

高校生になって、

中学の時と同じチームである浦安JSCに所属し、

サッカーに没頭。

僕が高校2年生の時に、

1860München

のユース監督が僕らのクラブを訪れてて、

指導をしてくれました。

その時に、ドイツで求められている基礎的な能力でさえ

欠落していると感じた僕は、

これをキッカケに

ドイツに行く事を決意!

 

進路に迷う

高校3年の夏に進路を考え始めるようになりました。

 

高卒でドイツに行く事を決意したものの、

「もし大学に行かない選択肢を取るのであれば、

家族から経済的な支援を受けられない」

という条件がありました。

つまり自分でお金を稼がなきゃいけないという事です。

すぐにでもドイツに行きたっかのですが、

お金を稼ぐためにサッカーをする時間、

何か勉強する時間を削りたくないと思い、

大学進学を決断

更にドイツに行く事を見据えて、ドイツ語専攻を選びました。

また、選手としての進路も迷いました。

 

僕の所属していた浦安SC(現ブリオベッカ浦安)のトップチーム

で挑戦するか、

大学のサッカー部に挑戦するかです。

この時に、どちらの方が

「自分が成長できるか」

という事を熟考した結果、

浦安SCのトップチームでプレーする

事を選択しました。

この選択は間違ってなかったと思ってます。

 

苦悩の2年間

 

大学でドイツ語の勉強をしながら、

浦安SCでの練習に励んでました。

関東リーグ2部でしたが、

Jリーグのチームから移籍してきた大先輩や

大学サッカーで活躍していた

大先輩達と共にJFLを本気で目指していました。

僕がチームの中で一番下手な選手だったので、

試合にもあまり出れず、

練習について行くのもやっとでしたが、

チームの中で一番下手って、実は一番得かもしれない。

上手い人たちの技を沢山盗めるし、

否が応でも120%で練習に臨める。

と思い始め、

自分よりも上手い人たちの中で練習をさせてもらえる事に

感謝してプレーしてました。

 

ドイツでセミプロに

ドイツ挑戦のため浦安SCを退団し、

満を辞してドイツへトライアウトに行きました。

まずは1ヶ月間ドイツへチーム探しに行きました。

ケルンでドイツ6部のチームに入団が決まったのですが、

その後僕が日本へ一時帰国している間にチームが降格。

またチーム探しをする事に。

そこでドイツ人の代理人のツテで

ドイツ6部のSG Mendigという小さな町クラブ

で練習参加できる事になり、

再び渡独しました。

一週間の練習参加を経て、

クラブと契約を結ぶ事になりました。

僅かながらの給料でしたが、

選手として初めて固定給を貰えるようになりました

関連記事: 初ドイツ入団テスト。衝撃のデビュー!!

 

ブンデスリーガでインターンシップ

 

2年でドイツ4部以上(プロリーグ)のチーム

に入団できなければ、

日本に帰国して大学に復学すると決めていました。

ドイツ2年目のシーズンはとにかく、

何としてでも4部以上のチームで

プレーするためにはどうしたらいいかを考えてました。

そこで一つ思いついたのが、

ブンデスリーガのチームのフロントで働く事でした。

理由は3つありました。

①プロがどのようなトレーニングをしているかを間近で見れる。

②フロントで働きながら選手をやらせてもらうチャンスがあるかもしれない。

③安定した高い集客数を誇るブンデスリーガの秘密を知れる。

2つ目の理由に関しては、

今考えるとかなり浅はかな考えだったなと思いますが、

これらの理由からブンデスリーガのチームの

フロントの求人に申し込みまくりました。

その中で唯一ボルシアメルフェングラッドバッハ

の女子チームから連絡があり、

アシスタントマネージャーとして

インターンをさせて頂きました。

女子チームの練習に人数合わせで出たりしましたが、

男子チームの方は練習参加は叶いませんでした。

関連記事: ブンデスリーガのチームでインターン!!

 

初めてサッカーをやめそうになった

 

ドイツで夢叶わず、日本へ帰国し、

大学に復学しました。

基本的には日本にいて、

大学の夏休みと春休みはドイツのチームに

合流するというようなルーティンでした。

そして卒業後、

再びヨーロッパで挑戦するために

日本で毎日のようにアルバイトして、

お金を貯めました。

節約するために、

4畳一間のボロアパートで生活してました。

約8ヶ月間、他のライバル達が必死で練習している中、

アルバイトと大学でチームに所属するどころか

ボールもろくに蹴れない毎日に焦りを感じ、

何度もサッカーをやめて、

日本で就職しようかなとも考えました。

しかしアルバイトの仕事上、

目の前で活躍するスポーツ選手たちを目の当たりにして、

彼らが輝いて見えましたし、

感動させてもらいました。

ここで僕はまだ現役を続けよう!

そう決意しました。

そして日本でフットサルをしていた時に

出会っったスイス人の影響で、

新たな新天地として

スイスに興味を持ち始めました。

スイスでは大半の地域でドイツ語が通じる事

新しい国で挑戦できる事

に魅力を感じ、スイス挑戦を決意しました!

 

スイスでトライアウト!

 

卒業が確定するやいなや、

すぐにスイスへ飛び立ちました。

スイスではツテも情報も何もないところから、

取り敢えず、スイスへ旅立って、

何十チームにもメール、

電話で連絡を取りました。

時には、とあるチームのGMの会社に直接行ったら、

一階の受付にいる女の人に止められて、

名刺だけ渡されて丁重に追い返されたり。

どのチームに電話で聞いても、

大体、すごいダルそうな感じで対応されたり。

やっぱ厳しいなぁと思いながらも、

話を聞いてくれるチームは何チームかあって、

スイスの5部リーグ所属

FC Bassersdorf(エフツェー バッサースドルフ)

というチームに入団する事になりました!

関連記事: 代表選手と対決!トライアウト in スイス

関連記事: トライアウト終了!

 

プロ・スイスリーガーに僕はなる

 

これから僕は、ここスイスでプロを目指して活動して行きます。

選手としての能力を上げて行くのは勿論、

新しいアプローチからではないと厳しいとも考えています。

正直、僕は選手としてまだまだなので、

「ブログ書いてる暇あるなら、もっとサッカーの練習しろよ!」

と自分の中で葛藤してる部分もありますが、

僕はこのブログも今後僕の目標達成に向けて、

大切な活動の一つになってくると思っています。

そして僕のブログを書くことで、

「失敗」を恐れずチャレンジする

という事を一人でも多くの人に伝えたい。

だから僕はこのブログを書き続けます。

 

セカンドステージ

 

現在はスイスの企業で

エンジニアとして働きながら

FC Bassersdorfで

相変わらずサッカーをしています。

プロサッカー選手を目指す事を

諦めたとは

まだ言えない自分がいますが,

「Work hard, Play hard」

をモットーに

今はサッカーと仕事に

情熱を注いでます。

加えて

報告が遅れてしまいましたが

スイス人の妻とも結婚もしました!

国際カップルチャンネルもやってるので

ぜひチャンネルに遊びに来てください!

 

 

「THE失敗談」誕生のきっかけ

きっかけは、日本へ一時帰国した時に色んな人からドイツ滞在に関することを聞かれた時でした。

一番自分が熱量を持って話せて、

更に聞いている人たちの興味を引いた話

が、「失敗談」であることに気づきました。

この時に、

「失敗が、自分にとって良い話のネタになる。これこそ失敗の醍醐味だ!!」

と確信しました。

そして「僕がこれまで海外生活で経験した貴重な失敗談を忘れてはいけない。

だから、これを何か形に残したい!!」

という思いから、

「ブログに残せば、形にも残せて、

更に少しでも読んでくれる人が楽しめる物になれるかもしれない!」

と勝手に考え、このブログを作成しました。

2020年からブログのタイトルは、

心機一転「飯野多希留のブログ」に変更しました。

読者の方々が楽しめて、

時に背中を押せるようなブログにして行きます!

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メディア掲載

「スイスで挑戦する若者を突き動かす情熱」大人になってから学ぶサッカーの本質とは 様

「スイスでプロサッカー選手に」 SWI Swiss Info様

「スイスで挑むプロサッカー選手への夢」Vektor様

「Nur das gute japanische Essen fehlt」 regional-fussball.ch 様

会報誌エーデルヴァイス「Kette」 チューリヒ日本人会 様

「スイスでプレーする若武者!?飯野の挑戦に迫ったゴラッソ様

読売テレビ 「グッと地球便」テレビ出演

最後に

ここまで僕の長いプロフィールを読んで頂きありがとうございました。

これで少しでも僕がどんな人間かを知って頂けたかなと思います。

詳しい内容はブログの記事の方を読んで頂けたらなと思います!

これからも「飯野 多希留のブログ」を何卒よろしくお願いいたします!