THE失敗談とは

「人間は、失敗から学ぶ」。失敗直後の精神的なダメージを和らげるための特効薬として、この言葉を信じてきましたが、実際自分がその場面に直面すると、そんな言葉だけでは癒されない時も多々ありました。
さらに失敗に対して叱責や批判が伴うと、ダメージも更に大きくなりますし、もう失敗したくないと思うようになり、チャレンジする事が怖くなる時もありました。
そんな中、僕はドイツへ旅立ちました。ドイツに着くと、100%の意思疎通が出来なかったり、国のルールが違うなど、日本と環境・文化が違う事が原因で、失敗の連続でした。しかし、日本の時と違ったのは、周りの人が、僕が外国人だから仕方がないと考えていたこと、そして、そもそもドイツ語も日本語ほど僕の耳に入ってこないことがあったため、失敗することに対して寛容になっている自分がいました。(もちろん失敗を避けたい気持ちは、常にありましたが)
そして、日本へ一時帰国して色んな人からドイツ滞在に関することを聞かれた時に、一番自分が熱量を持って話せて、更に聞いている人たちの興味を引いた話が、「失敗談」であることに気づきました。この時に、
「失敗が、自分にとって良い話のネタになる。これこそ失敗の醍醐味だ!!」
と確信しました。そして
「僕がこれまで海外生活で経験した貴重な失敗談を忘れてはいけない。だから、これを何か形に残したい!!」
という思いから、
「ブログに残せば、形にも残せて、更に少しでも読んでくれる人が楽しめる物になれるかもしれない!」と勝手に考え、このブログを作成しました。また海外に挑戦しようとする人たちの、何かお役に立てるものとなれたら、尚光栄です。
皆様、「THE失敗談」を何卒よろしくお願いいたします。

筆者:プロフィール

飯野 多希留(いいの たける)

2010年、千葉県のサッカークラブである浦安SC(現、ブリオベッカ浦安)に在籍中、ドイツブンデスリーガに所属しているFC1860ミュンヘンの育成コーチの練習を受けて、ドイツサッカーへの関心を寄せるようになる。
そこから大学進学の際に、ドイツでのサッカー留学を見据えて、中央大学ドイツ語学科に進学。
2014年から大学を休学して、ドイツ・ラインラントプファルツァ州SG Eintracht Mendig/Bell にて、わずかながら給料をもらいながら、セミプロサッカー選手としてプレー。
「飯野」をアルファベットで「IINO」と書くが、頭文字を小文字のLだと思われ、名前と苗字を合わせて、しばしば「タケリーノ」と呼ばれる。
2017年は、大学に復学し、日本とドイツを行き来しながら、選手を続ける。
現在は、スイス、チューリヒにあるFC Bassersdorf で活動中!!
これまでのヨーロッパでの生活の中で、起こった失敗談をブログに記していきます!!

TOKYO ist eine grosse Stadt.
Mehr als 13 Millionen Bewohner leben in TOKYO.
Ich bin in dieser Stadt geboren und bis 20 dort aufgewachsen.
Züge fahren alle paar Minute, wahnsinnig viele Leute gehen auf der Strasse hin und her und hohe Häuser umgeben uns. Ich bin schon daran gewöhnt. Aber es gibt etwas, an das ich mich nicht gewöhnen kann. Es gibt nur wenige Fussballplätze.
Trotzdem habe ich schon mit 6 angefangen, Fussball zu spielen.
Aufgrund der mangelnden Sportplätze habe ich häufig vor dem Haus gespielt, obwohl dort verboten ist.
Mit 8 begann meine Begeisterung für den europäischen Fussball.
Barcelona, Liverpool, Bayern München und so weiter.
Dass ich so viele europäische Spieler und Vereine kannte, überraschte meine Mutter.
Trotz des Zeitunterschiedes habe ich damals oft um 3:30 Uhr in der Nacht Spiele geguckt.
Seitdem habe ich schon gedacht, dass ich unbedingt in Europa spielen möchte.
Als ich 17 Jahre alt war, kam ein deutscher Trainer von 1860 München zu unserer Mannschaft.
Da wurde es mir klar, dass ich in Deutschland Fussball spielen möchte.
Und so bin ich in Mendig in der Rheinlandpfalz gelandet.
Natürlich habe ich einige Kulturschock bekommen.
Ich schreibe in diesen Blog.